あれから俺なりに色々考えてみた。
そして、俺は答えを見つけ出した。
だから今日は意を決して会社に出社することにした。
久留宮先輩には今日出勤することを事前に伝えてあるから、問題ない。
出社するのは久々だから変な感じがするけれど、しっかりしなければいけない。
身なりをきちんと整えて出社すると、皆が俺の方を見て驚いた表情を見せた。
日向は不敵に笑みを浮かべながら俺を見ている。
そのまま部長の元へと行き、俺は立ち止まった。
「長らくご迷惑をお掛け致しました」
「三代澤、やっと出社してくれたんだな!
あれから言い過ぎてしまったことを反省していたんだ」
「いえ、おかげさまで冷静に今後について考えることが出来ました」
「三代澤、実は例のコラボ商品の事を覚えているか?
ほら、日向がデザイナーを怒らせて失敗した件だ」
そう言えばそんなことあったっけか。
すっかり忘れていた。
嫌なことはすぐ忘れることにしているから、あんまりよく覚えていないと言うのが正直なところ。
ただ、久留宮先輩は本当に細かく部長に説明してくれたようだ。
それが原因で日向は減給されることになったのだとか。
辞めさせられるのかとばかり思っていたが、減給で済んだのか。
俺がそんなことを考えている間にも、部長は話を続けていく。
「実は、デザイナーから連絡が来てぜひ企画を持ち直したいと言われているんだ。
三代澤、お前何度も謝罪の電話を入れて繋ぎとめようとしてくれたんだろう?」
「申し訳ございませんが、よく覚えていません。
他の方にしていただけませんか?」
「いや、そのデザイナーがぜひ三代澤と仕事がしたいと言っているんだ。
頼む、もう一度進めてくれないか」
「お断りさせていただきます。
俺は本日を持ちまして退職いたしますので」
何だか良く分からないが、デザイナーがもう一度企画を進めたいと連絡してきたのか。
何度も謝罪の連絡なんて、俺したっけ・・・?
何だか良く分からないが、俺には出来ない。
もうこの会社を辞めることに決めたから、ここでの仕事を引き受けることは出来ない。
俺は退職届を部長へと差し出した。
そんな姿を見ていた周囲がざわざわし始める。
部長の表情も強張っている。
これはもう決めたことだから変えるつもりはない。
この会社では過ごせない。
日向もその様子を見て非常に驚愕して、開いた口が塞がらないと言った様子だった。
これでお互いに顔を合わせなくて済むのだから、清々するだろう。
それなのに、なにをそんな驚くことがあると言うんだ。
「三代澤、・・・本気、なのか?」
「はい、本気です。
それなので、他の者に頼んで下さい」
俺はあっさりと言い返した。
もう未練なんかなくて、思い残すことも特に見当たらなくて。
だから誰かが俺の代わりに働いてくれたらいいと思う。
日向が納得いかない表情をしながら俺を見ている。
それは久留宮先輩も同じで、何か言いたそうな感じだった。
それでももう決めたことだから。
俺は残されていた荷物をまとめて、自分の使っていたデスクを綺麗にしていく。
その時、ドタバタと足音が聞こえてきて、急に慌ただしくなってきた。
俺はお構いなしに片づけを進めていく。
「あなたが三代澤さんよね?」
突然、女性に声を掛けられて俺はそのまま頷いた。
この女性は一体誰だろう。
見たことが無いような気がするけれど、向こうは俺の事を知っているようだ。
どこかで会ったっけ?
俺がぼうっとして立っていると、女性がまじまじと俺の顔を見た。
顔に何かついているのだろうか?
部長や日向は彼女を見て気まずそうにしている。
「もしかして覚えていないんですか?
ほら、デザイナーの上谷です。
何度も私の事務所に謝罪の連絡を下さいましたよね」
「申し訳ございませんが、よく覚えておりません。
あの時の事はまばらと言いますか・・・」
「あれから随分経ってしまっているものね。
ぜひあの時の企画をあなたと進めたいと思って、来たんですよ」
上谷さんはそう言って、バッグからファイルを取り出す。
随分経っていると言うよりも、ギャンブルの記憶が強すぎて掠れてしまっているんだ。
もともと嫌な出来事はすぐ忘れる方だし。
だからよく覚えていないんだと思う。
上谷さんや部長、日向は覚えているようだが俺がギャンブルに染まっていた期間が長いから、その記憶が抜け落ちてしまっている。
大したことじゃない記憶と言うか、そう言ったものはすぐに忘れてしまう。
俺はデスクを片付け終えて、荷物をまとめた。
そう言えば、上谷さんは俺が本日付で辞めることを知らないのか。
俺は手にしていた荷物をデスクへ置き、真っ直ぐに上谷さんを見た。
「申し訳ございませんが、本日付で退職することになりました。
ですから、その企画は他の者に頼んでいただけませんか?」
「えっ・・・三代澤さん、なぜお辞めになるの?」
「それはぜひとも聞いておきたい」
上谷さんと部長が俺に尋ねてくる。
なぜ辞めるのか、その理由をごまかして言うべきなのか、はっきり言うべきであるのか。
正直、なんて答えたら良いのか分からなくて困ってしまった。
だけど、もう辞めるから何を言ってもいいのではないかとも思った。
嫌われたとしてももう関係ないことだし。
それに本音を黙っているのは何だか負けたみたいで嫌だった。
本人たちを傷つけることはわかっているけれど、言ってしまおうか。
もしかしたら、俺以外の人間も思っているかもしれないから。
思っていても言えない事って結構あるものだ。
自分の立ち位置を考えてしまったり、本音を明かしたことで部署異動させられるんじゃないか、嫌な仕事ばかり押し付けられるんじゃないかとか。
そんなことを考えてしまって、なかなか思ったことを口に出来ないと思う。
だけど、俺はもう辞める人間だから関係ない。
「最後まで部下の話を聞いてくれない人間とは、うまくやって行ける自信がありません。
確かに俺にも少なからず非がある事は認めますが、一方的に決めつけペナルティを受けるのは納得がいきませんし、部下がついた嘘を見抜く力がないのも上に立つべき人間としてどうかと思います。
一度こういうことが起きれば、次何かあった時にも同じ結果にしかならない。
冷静な判断が下せない相手とは、一緒に仕事は出来ません」
「・・・そうか」
「日向の顔も見たくありませんし、同じ場所にいることすら嫌悪感を抱きます。
いちいち絡んできて目障りなので、俺から辞めることにした。
ただ、それだけですよ」
俺は包み隠さずはっきり伝えた。
一度壊れてしまった関係を修復するには、お互いが歩み寄らなければならない。
それはわかっているけれど、俺はもう歩み寄りたくないと思っている。
分かり合えなくていい。
部長は俺が思っていたよりも落ち込んでいるのが目に見えて分かった。
今更そんな表情をされたって仕方がない。
部長が昔から感情的だったことは理解しているし、今まで俺のように怒られて辞めてしまった者も多い。
中には我慢しながら今も頑張っている者が居るかもしれない。
しかし、残念ながら俺は頑張れるほど忍耐強くない。
「止めても無駄なのか?」
「ええ、もう別の会社と契約しておりますので。
今までお世話になりました、失礼します」
そう言って、俺は会社を後にした。
止められたってもう遅い。
すでに俺は青石商社と契約を交わしてしまっているし、ここからもう一度やり直そうと考えているから、その考えを変えるつもりなど一切ない。
どうせ辞めるなら、一度だけでいいから久留宮先輩と仕事がしたかったな。
きっと楽しく仕事が出来ていたんじゃないかと思う。
非常にもったいないことをしてしまった。
そんなことを考えながら歩いていると、後ろからある人物が追ってきた。
「三代澤・・・!
本当にこれでいいのか?悔いはないのか?」
「久留宮先輩、これでいいんですよ。
あの会社にはもう何も未練などありませんから」
「三代澤・・・」
「今まで大変お世話になりました。
久留宮先輩と一緒に仕事を出来なかったことだけが心残りです」
俺が苦笑しながら言うと、久留宮先輩がとてもつらそうな表情を見せた。
そんな表情にさせたかったわけじゃないのに。
でも、本当に仕事を一緒に出来なかったことだけが心残り。
いつか一緒に仕事がしてみたかった。
俺は深々と頭を下げてから、再び歩き出した。
久留宮先輩のつらそうな、そしてどこか寂しそうな表情を初めて見た気がする。
いつも明るく振る舞っているし、頼もしさが満ち溢れていたから少し驚いてしまった。
「いつでも連絡してこいよ!!
悩んだ時でもいい、つまらない事でもいい!
待ってるからな!」
後ろから久留宮先輩の少し震えたような、それでも大きな声が聞こえてきた。
俺は振り返ることなく手を上にあげて、軽く振った。
久留宮先輩は本当に頼もしくて思いやりのある人物だ。
会社を辞めた俺に対しても、優しく接してくれる。
つまらない事でもいいからいつでも連絡してこい、か・・・。
久留宮先輩らしくて、思わず笑ってしまった。
俺はそんな優しい久留宮先輩に何かしてあげることは出来ただろうか?
お言葉に甘えて、落ち着いたら飲みに誘ってみようかな。
明日から、再び新しい生活が始まる。
新しい環境でどこまで俺は頑張ることが出来るだろうか?