時間が経つのは本当にあっという間で、気が付けばあっという間に冬を迎えていた。
これからの時期は風邪やインフルエンザが増えてくるから、気を付ける必要がある。
患者と接すれば感染する確率も高くなるから、徹底しなければ。
そんな中、俺の借金は少しずつだが少なくなり始めてきて、ようやく返済している気になってきた。
多額だったから返済しても終わりが見えないと思っていたが、最近では数字が変わってちゃんと返済できているんだなと思えるようになった。
やはり返済額が多額になってしまうと、返済する気持ちがなくなってしまうのも確かで、どうしても遅延したり滞納したりしてしまいがち。
それでも俺はしっかり遅延することなく、毎月の返済を続けている。
その甲斐あって、今ではだいぶ減らすことが出来ている。
その一方で、水梨は悲惨な日々を過ごしているようだ。
結局裏カジノで新たな借金を作ってしまい、さらにかさまししてしまったのだとか。
だからあの時止めたと言うのに。
借金額が膨らみ、取り立て屋に追われて本人もまいっている様子。
俺ももう何も出来ない。
何もしてやれない。
水梨は情緒不安定になり、院長から仕事を辞めた方が良いとも言われたと噂になっている。
それは、水梨自体の精神状態がおかしくなってしまっているからだ。
別に追い出したくてやめた方が良いと言ったわけではない。
すると、水梨が廊下を歩いているのが見えた。
ふらふらしながら歩いているから、まずます不安になった。
水梨が俺に気がついて、こちらへやってきた。
「なぁ、オレに金貸してくれないか?
少しでいいんだよ」
「いや、俺は自分の借金の返済があるから貸せない。
もうギャンブルなんて辞めたらどうだ?」
「なんだよ、お前は消費者金融から金借りられんだろッ!!
オレなんか、オレなんかもうどこも貸してくんないんだよ!!」
そう俺を怒鳴りつけて、掴みかかってきた。
此処まで堕ちていると言うのに、まだ金が欲しいと思うなんて狂っている。
もうここで辞めておけばいいのに・・・。
大体、俺に金を借りて来いだなんて、どこまで自己中心的なんだ。
悪いが他人に金を貸すほど、今の俺には余裕はない。
自分の借金返済が大変だから、金に関することは何も出来ない。
もうどこも貸してくれなくなったら諦めるのが普通。
それとも再び闇金融に手を出すのだろうか・・・いや、取り立てが来ているくらいだから新規借入は難しいな・・。
「かわいそうに・・・」
「いいんだよ、そろそろ自己破産すっから!!」
自己破産をするからいい?
その考え方がまずおかしいと気が付くべきなんだ。
だけど、本当に自己破産をしてしまったら・・・どうなってしまうのだろう。
借金が1000万円を超えてしまっているから、何年たっても完済は出来ないと思う。
何故なら、返済期間は最高で何年までと決められているから。
その範囲内で完済することが出来なければ・・・・。
俺もちゃんと返済するために、きちんと考えて返済期間を決めた。
決めるまでに相当苦労したし、担当者とも相談して決めたから時間がかかってしまった。
水梨は・・・今後の事を考えていないような気がする。
俺はあれから院長や医局長に、あの日の出来事を全て話した。
水梨を借金まみれにして追いつめようと汚い手を使ったことを。
しかし、最初は証拠がない、君が勝手にでっちあげている事だ、などと言われて相手にさえしてもらえなかった。
だから、もう一度あの裏カジノへ行き証拠を掴もうと思った。
しかし、院長と医局長が俺たちの後を付けていたようで、すぐに理解してもらうことが出来た。
そしてあの連中は皆辞めさせられることとなり、ますます内科医たちは忙しくなった。
それでも、あの連中に対して文句をいう奴はいなかった。
それは、いなくなってくれて清々している者が多かったから。
対して仕事もろくに出来ないくせに、偉そうなことをしているからだ。
「黒音医師、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫」
「一気に内科医があんなに辞めてしまうなんて、いい迷惑ですよね!
なぜ辞めさせられたのか、黒音医師はご存知ですか?」
「いや、知らないな」
俺はその理由を全て把握しているけれど、何も言わなかった。
そこまで言ってしまうのは、何だか可愛そうに感じたから。
連中が居なくなったことで、仕事がはかどると言う者達もいた。
誰かを傷つけるような真似は良くない。
しかし、時として傷つけることも必要なのかもしれない。
例えば、何を言っても聞き入れてもらえない時や、その本人を奮い立たせるためなど。
やりすぎは禁物だが、時として役に立つこともある。
休憩時間になり、俺は仮眠室で仮眠をとることにした。
すると、携帯電話が鳴って俺はその電話に出た。
その電話してきた相手は、金融機関の担当者だった。
「今月の返済ならもう済みましたが・・・」
『はい、ご入金確認致しました。
もしよろしければ、繰上げ返済していきませんか?』
「繰上げ返済、ですか?」
『繰上げ返済でしたら、その分金利手数料を浮かせることが可能でございます。
黒音様は毎月しっかりとご返済なさっておりますので、繰上げ返済も良いかと・・・。
もちろん、無理なさるのは良くありませんからご検討されてみて下さい』
「わかりました」
そう言って電話を切った。
繰上げ返済か・・・考えたことが無かったな・・・。
毎月決められた返済日よりも早めに返済してもいいですよっていう事だよな?
確かに繰上げ返済をすればその分の金利手数料を減らすことが出来る。
しかし、そうすることで返済が苦痛になってしまったらどうしようかと思ってしまう。
繰上げ返済が当たり前になってしまったらと思うと怖いんだ。
俺は少し考えてみることにした。
繰上げ返済する時は何も手続きをしなくていいと言われた。
確認すれば分かることだからなのかもしれない。
毎月ではなくて余裕のある時だけ、繰上げ返済をしていくと言う方法もある。
俺にはきっとそっちの方が向いていると思う。
その数日後。
いよいよ水梨が辞めさせられることになった。
院内はようやく通達が下ったか、といった様子だったが俺はそうは思わなかった。
逆になぜ自らの手で自分を追い詰め苦しめているのか理解できない。
そりゃあ、俺だってギャンブルを絶ち切るまでは大変だったし、つらいこともあった。
だが、現実を思い返してみれば自分が間違っていることが分かる。
そこから少しずつ意識が現実へ戻って、現状を受け止めるようになっていく。
けれど、水梨は全く現実を見ようとしていない。
だから、ますますダメになっていくのかもしれない。
「とうとう水梨が退職させられることになったな。
まぁ、誤診したりギャンブルにどっぷりハマっていたから無理もないか」
「そうよね、あれは目に余る行動だったもの」
周囲がそう言って、水梨の後姿を見つめている。
その背中はどこか寂しそうで、昔の俺に酷似していた。
俺もこの病院へ来る前の職場で、同じ経験をした。
周囲からの冷たい視線、哀れむかのような目をして俺を見てくるんだ。
時折聞こえてくる話し声に混じる、クスクス笑う声。
今でも鮮明に覚えている。
それが今のこの状況で、水梨は居たたまれないだろう。
確かに自業自得かもしれないけれど・・・。
水梨が居なくなって、精神科医は忙しい日々に追われるようになった。
やはり、それだけ医師一人の存在は大きなものなのだ。
「水梨が去ることになったけれど、柩大丈夫なの?
自分と重ねてみているんじゃない?」
「まぁ、あの姿は昔の俺そっくりだ・・・今後、水梨がどうなってしまうのか不安だな。
俺の時は支えてくれる人がいたからよかったものの。
もしかしたら、俺も同じようになっていたのかもしれない」
傍に支えてくれる人がいたから、俺は今こうして無事に過ごすことが出来ている。
しかし、水梨は支えてくれる人が近くにいない。
ひとりぼっちだから、余計に負のスパイラルから抜け出せなくなってしまっている。
姉貴が黙って俺の肩をぽんと軽く叩いた。
俺を必死に止めてくれたのは姉貴だった。
もし、姉貴が居なかったら俺も水梨と同じ道を進んでいたのかもしれない。
そう思うと何だか怖くなった。
借金を返済できないことに対してではなく、人生そのものが怖い。
一体どんな人生を歩んでいくのか目に見えているから。
「柩、あんたは私に救われて良かったって感謝しなさいよね~!
じゃなきゃ、あんたも確実にああなっていたわよ」
「そうだよな・・・ありがとう、本当に」
俺は心底そう思った。
もしかしたら、俺も闇金に手を出していたかもしれないんだもんな・・・。
姉貴には感謝しても感謝しきれないくらいだ。
今では順調に返済も出来ているし、うまくいっていると我ながらに思う。
こんな風にしてこの先も俺は歩いていけるんだろうか。
噂によれば、水梨が抱えている借金は1200万円を超えてしまっているようで、返済するにも利息分が発生しているからその倍になっているのではないかと言われている。
消費者金融や銀行であればまだいいかもしれないが、闇金の利息分は違法だからとてつもない金額になっているだろう。
返済できないとなれば、やはり自己破産しか残された道はない。
1200万円を完済するには、何年働けばいいのかざっと計算したって数十年以上かかる。
仕事を失った水梨には、とても返済する余裕なんかない。
一体どうするのだろうか。
「そんな表情しないの、柩には関係ないんだから。
ほら、さっさと仕事始めるわよ!」
「ああ、今行く」
去って行く水梨を見つめながら、俺はその背中に過去の自分を重ねていた。
精神的に追い詰められて自殺とかしなきゃいいんだけど・・・。
水梨はそこまでやわじゃないから平気だとは思うが、やっぱり心配だ。
何だろうか、このやりきれない思いは。
水梨がどうなってしまうのか、俺の中ではその先の事が見えている。
恐らく、俺の予想が正しければ水梨は間違いなく自己破産することになって、就職も厳しくなってしまうのではないかと。
俺の時も同じで、転職するまでに時間がかかってしまい、ギャンブルの事を知られて周囲から白い眼で見られることも多くあった。
水梨は今後、一体どのような人生を歩むことになるのだろうか・・・?